平成26年を迎えるにあたって


2007年夏 白山頂上より黎明の穂高連峰を望む

2007年夏 白山頂上より黎明の穂高連峰を望む

 

 

新年あけましておめでとうございます。
旧年はホームページをご覧の方々を含め何かとお世話になりました。
本年が皆様にとって天に昇る馬のごとく飛翔する一年でありますよう心から祈念申し上げます。

私にとっても昨年は、7月に市議会議員選挙で初当選をさせて頂き、市民の皆様から市政を担わせていただくという付託を頂いた大きな一年でした。8月以降、所属委員会を中心とした議会活動のみならず、地元地域や奈良市全般の各種行事、市外の研修に参加、市政相談をお受けさせて頂くなど、日々研鑽を積ませていただいています。基本的にはフェイスブックで日々の活動を発信しておりますが、ブログでも広報活動を今後は行っていく予定です。

 

2014年は皆様にとってどんな年になるのでしょうか?

 

私は三が日に「永遠のゼロ」という百田尚樹氏原作の映画を観に行きました。

 

20代の司法浪人を続けていた学生が、祖母の死を切っ掛けに、祖父から実の祖父が存在し、その人物は第二次世界大戦の特攻で戦死したゼロ戦パイロットであることを知らされます。特攻隊員だった実の祖父・宮部久蔵とは何者なのか?フリーライターである姉とともに、かつて宮部とともに戦争を生き抜いた方々の証言をたどる旅が始まります。凄腕のゼロ戦パイロット・宮部はなぜ「海軍航空隊一の臆病者」と罵られたのか?ストーリーは証言者の回想とともに続きます。ガンを宣告された証言者の方の話が印象的でした。「私はなぜ余命3ヶ月と言われ、もう6ヶ月もたったのに未だに生きながらえているのかがよく分かった。いま貴方にあの戦争の話を伝えるために生かされているのだ」と。
私たちは戦争時代の証言をもう一度洗い出す時代に来ているのではないでしょうか。

 

南京大虐殺や従軍慰安婦問題は実際にどの程度の規模で存在したのか?
メディアには既成事実として扱われる一方、保守活動家においてはそれらはそもそも存在しなかったといわれます。
お互いに双方の意見が正しいと訴え続ける。世論が右傾化している、という一言では問題は解決の方向には向かないと思います。

私は冒頭の映画を観て感じたことは「生き証人」としての戦争に携わった方々のお話、これらは映画の中だけでの話ではなく私たちのそれぞの祖父や祖母など身の回りでも実際にあった事実であることを受け止めなければならないと感じました。それらを大衆がみた戦争という形で一人一人の戦争の事実を伝承し、再構築する必要があるでしょう。それは家庭からみた、あるいは住んでいる町から見た第二次世界大戦の事実という形になるのだと思います。それらが終わらない限り、真の戦争の終結はないと思います。

2014年は戦後69年目、来年には70年目です。戦争証言をしていただける方がこの世から徐々に去って行かれるのも事実です。先人がどんな無念の思いで戦後を迎えられたか、またいまの日本のためにどれだけ戦後ご尽力を頂いたのか、先人のご苦労が無くしていまの日本は有り得ないことをしっかりと私たちは新ためてその意味を知る必要があります。

 

「伝える」ということに関連して言えば、政治とは街や国に暮らす市民や国民が次の子や孫の世代に時代をバトンタッチした時に、この国に住んでよかったと思われる誇りある街づくり・国づくりを目指すことに究極の目的があると考えています。

 

高度経済成長が終わり、あらたなる社会保障制度の構築の確立が求められ、またや米中を取り巻く外交のパワーバランスに変化がみられるなか、私たちはその礎(いしずえ)となって「つなぐ」政治を行っていく必要があるのです。

自由民主党所属の一地方議員として、本年も市政発展のために一歩ずつ歩み続けることを宣言し年頭のごあいさつにさせて頂きます。

 

奈良市議会議員 太田晃司

[`evernote` not found]
LINEで送る